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四条1号墳(しじょういちごうふん)〔橿原市四条町〕
 
四条1号墳

 奈良県橿原市四条(しじょう)町に所在する。大和三山(やまとさんざん)のひとつである畝傍山(うねびやま)北東部の平坦地に立地する。周辺部の現況は、国道が交差し、病院・警察署など建物が立ち並ぶ景観となっている。
 古墳時代中~後期(5~6世紀)には、中・小型の前方後円墳・円墳・方墳で構成される四条古墳群が形成されていたが、その大半は、藤原京の造営に伴って削平され、発掘調査では周濠が検出されるにとどまる。そのなかで、四条・塚山(しじょう・つかやま)古墳(現・綏靖(すいぜい)陵)は、墳丘を残しているものと考えられる。また、現・神武(じんむ)陵のある場所も、かつて古墳が存在した可能性があり、四条古墳群を構成する1基であったと考えられる。
 四条1号墳は、四条古墳群のなかでは最初の1987年に確認されたものである。西側に造出しを取り付けた造出し付き方墳で、墳丘の規模は南北長32m、造出しを含めた東西長は約40mを測る。内濠・外濠の二重の周濠をもち、内濠には各辺に1カ所ずつ周濠の底まで掘り抜かずとどめておく陸橋状の高まりがみられる。外濠を含めると、その規模は、南北約60m、東西幅は75mに達するものと推定される。
 外濠から出土した遺物は非常に少なかったが、内濠からは、多量の木製品と埴輪が出土した。木製品のなかに、鳥形・盾形・笠形・儀杖(ぎじょう)形・翳(さしば)形などがあり、埴輪と同様に墳丘に樹立するものがあったと考えられる。こうしたところから、これらの木製品は、「木製埴輪」や「木製立物(樹物)」と名付けられることになったが、その代表例が四条古墳のものである。また、翳形のほか、刀形・鉾(ほこ)形などの木製品も出土しており、これらを葬送儀礼に使用し、周濠に廃棄したという説もある。
 また、周濠の造出しの周辺部を中心に、人物・馬・鹿・猪・犬・鶏などの形象埴輪が出土している。本来は、群像として造出しに樹立されたものであろう。人物には、入れ墨をした男、弓を持つ男、力士、盛装した男など多種多様なものがあり、動物の埴輪はそれぞれ完全な形に復元された。馬形埴輪は、高さ106㎝、長さ120㎝の大型品で、頭絡(とうらく)から尻繋(しりがい)にいたる馬装の様子が事細かに知ることができる貴重な資料である。また、犬・鹿・猪の狩猟を表現した埴輪のなかで、鹿はおびえた様子で後方に振り向く表現となっている。これら四条1号墳の形象埴輪も、日本の古墳文化を代表する優品である。
 古墳の築造時期は、中期末葉(5世紀末葉)であると考えられる。二重の周濠をもつ数少ない古墳の一例であるとともに、埴輪や木製品のほぼ全容が把握できる希有な事例である。埴輪や木製品で飾られた古墳の外観を復元したり、当時の習俗・祭祀を知ったりするうえで欠かせない貴重な事例であるといえる。

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